
2月5日、政府は技能実習制度に代わる新たな外国人労働者の受入れ制度となる「育成就労」制度の原案を固めた。対象となる業種は「特定技能」と同一とし、就労期間は3年、従来は認められていなかった転職制限を緩和するとともに、育成就労から特定技能1号へ、特定技能1号から特定技能2号へと段階的なキャリアアップを制度として明確化した。すなわち、育成就労生も仕事に熟練し、職能を高め、一定の日本語能力を獲得することで永住への道が拓かれる。
1993年、技能実習制度は「途上国の未来を担う人づくり」を目的とした国際貢献の一環として創設された。しかし、現実には低賃金外国人労働者の供給システムとして機能、悪質ブローカーの介在、劣悪な労働環境、不正な雇用条件など、外国人労働者に対する人権軽視の実態が社会問題化したことは記憶に新しい。一方、新制度は、人手不足に直面する日本経済を支える、ことが目的として謳われており、目的が実態に即したという意味において前進である。
厚生労働省によると在留外国人322万人のうち約200万人が国内で就労している(2023年10月時点)。雇用事業者数は約32万事業所、このうち全体の6割、約20万社が従業員30人未満の中小/零細企業だ。41万人もの技能実習生の主たる受け皿はまさにこうした中小企業であり、日本経済を下支えする労働力として彼らはもはや不可欠の存在である。一方、失踪者数は9000人を越える(2022年、出入国在留管理庁)。雇用条件、労働実態、生活環境における問題は現場レベルでは依然として解消されていないということだ。
彼らを取り巻く一部の不寛容さはどこから来るのか。途上国に対する偏見、異文化への怖れ、そして、本格的な移民受入れに対する懸念があるのだろう。とは言え、人口縮小に反転の兆しはない。縮んでゆく日本を無条件で是とするのか。問われているのはまさに未来のカタチである。「就労」に関する制度改革は喫緊の課題である。と同時に、日本社会全体の将来像を制度設計しておくべきであろう。いずれにせよ“安い日本”のままでは彼らに選ばれることもあるまい。稼げる国から観光する国への変質、実はここに最大の課題がある。

1月28日、ニジェール、マリ、ブルキナファソの3か国は西アフリカ諸国経済共同体(ECOWAS)について「特定の外国勢力が背後にある」と欧米を牽制し、ECOWASからの脱退を表明した。3国はいずれもクーデターによる親ロシア政権下にあり、サヘル地域の不安定化と更なる強権化が懸念される。31日、タイの憲法裁判所は王室に対する不敬罪法の改正を訴えた最大野党の主張を違憲と判断、これにより王室改革に関する議論は封じられる。タイにおける言論の自由は実質的に後退したと言って良いだろう。
今年は世界で重要な選挙が相次ぐ。問われているのは民主主義の未来だ。1月、野党が棄権する中で行われたバングラデシュの総選挙は独裁色を強める与党が圧勝した。続く台湾の総統選挙は中国と一線を画す民進党候補が勝利、民主主義の牙城は守られた。2月はインドネシアの大統領選挙だ。庶民派として人気の高い現政権であるが、親族主義への回帰や政権批判に対する統制強化といった側面も指摘される。自由で公正な選挙が実施されることを願う。3月には “結果ありき” とは言え、ロシア大統領選挙がある。翌4月~5月にはインド総選挙が控える。ヒンズー至上主義を掲げる与党の排他的な動向が気にかかる。そして、11月のアメリカ大統領選挙、懸念は言わずもがなである。
昨年11月、スウェーデンに本部を置く国際NGO「民主主義・選挙支援国際研究所(IDEA)」が173ヵ国の民主主義のパフォーマンスを指数化したThe Global State of Democracy Initiativeを発表した。レポートは「民主主義は世界で停滞し、多くの地域で後退している」としたうえで、選挙、議会、独立した裁判所など民主主義を守るべき機能が綻びをみせており、法の支配の維持に支障が生じている、との懸念を表明する。
さて、日本の衆議院の任期満了は来年10月だ。解散総選挙は年内との見方もあるが、目下の課題は政策以前、「政治とカネ」に端を発する政治改革だ。とは言え、問題の本質は単に “政治家” とカネの問題であり、要するに政治家による組織的な脱税である。また、政治資金収支報告書への不記載は、民間であれば有価証券報告書の虚偽記載であり金融商品取引法違反に相当すると言っていいだろう。法を作る者が、法の精神を蔑ろにし、自らの責任を回避し、また、それが看過されるのであればまさに政策以前、民主主義以前と言える。IDEAは民主的な健全性を示す指標は「市民空間の規模」であるという。果たしてそうした空間はどこまで広がっているのか。試されているのは私たち主権者である。

能登半島地震から間もなく4週間、不通となっていたJR七尾線の羽咋ー七尾間が復旧、七尾と金沢が再びレールでつながった。能登空港の応急復旧も完了、ANAの羽田ー能登便も27日から運航を再開する。中学生の集団避難も始まった。3万人規模の2次避難の体制も整った。19日には孤立集落の「実質的な解消」を県が宣言、地域差は残るもののインフラ関連の復旧見通しも漸次発表されつつある。
とは言え、経済へのダメージは甚大だ。本来、この時期は北陸新幹線の金沢-敦賀間の開業を控え、北陸全体が誘客キャンペーンで盛り上がっていたはずだ。美しい景観、豊かな食材、独自の伝統文化が残る能登半島は北陸に欠かせない観光コンテンツであり、大きな経済効果が見込まれていた。地震は一瞬にしてその期待を奪った。被害が軽微であった金沢市内の賑わいも失われた。国内観測史上最大の “海底隆起” に見舞われた漁業の深刻さは言うまでない。
24日、政府は北陸地方の観光需要を喚起すべく “北陸応援割” を導入すると発表した。中小企業に対する政府支援も固まりつつある。応急仮設住宅の着工、賃貸型応急住宅の確保も始まっている。一方、2次避難の遅れも報告されている。被災地の高齢化率は全国平均を大きく上回る。高齢者にとって住み慣れた集落から離れ、新しい環境へ移ることに対する不安は大きい。そもそも高齢化と人口減少が進んでいる被災地をどう再興するのか。復旧ではなく復興への道筋を示す必要がある。
2011年、震災から20日後の3月31日、当社は東日本大震災による復興需要の総額を4年間で12兆2000億円(原発事故関連の影響を除く)と発表した※。同年7月に策定された政府の復興計画は5年間で19兆円、10年間で総額23兆円を見込んだ。今後、能登半島でも大規模な復興需要が生まれる。まずは安全の確保とインフラの回復が急がれる。問題はその先だ。当社は東北の復興について「温存されてきた古い体質、先送りされてきた課題を清算し、新たな国土、産業、社会の在り方を構想すべき」と提言した。マイナスからスタートする能登半島復興のゴールが “過疎の再生” であってはならないし、被災者が置き去りにされた復興では本末転倒だ。地域とともに、地域から発想し、地域に根付いた復興策を立ち上げていただきたい。
※本レポート『資料:東日本大震災における経済復興プロセスと主要産業に与える影響』は無償でご提供させていただきます。
ご希望の方は、ホームページよりお申し込みください。
お申し込みの際、『お問い合わせ内容』に『資料:東日本大震災における経済復興プロセスと主要産業に与える影響 希望』とご記入ください。順次ご提供させていただきます。
お申し込みはこちら

1月14日、松江の「一畑百貨店」が65年の歴史に幕を閉じた。直近の売上高は、最盛期2002年の108億円から6割減の43億円、県内唯一だった百貨店の閉店により島根は山形、徳島に続く3番目の「百貨店のない県」となった。長く親しまれてきた地域一番店の閉店が地元経済界に与えるインパクトは大きい。とは言え、その不在が実際の消費行動に与える影響は特定需要層を除けばミニマムだ。そうであるがゆえの閉店であることに構造的な問題がある。
18日、茨城県警は雇用調整助成金の不正受給の疑いで水戸京成百貨店の元幹部社員らを家宅捜査した。営業不振による赤字を回避すべく勤務データを改ざん、雇調金3億円を不正受給したという。そう、百貨店の苦境は “地方” だけの問題はない。郊外はもちろん都市部の市場縮小も止まらない。府中(伊勢丹)、相模原(伊勢丹)、港南台(高島屋)など、首都圏の中核都市でも閉店が相次いだ。渋谷の東急本店、新宿の小田急本館も既存業態を見限っての “再開発” に着手済みだ。
構造要因は3つ、生産年齢人口の減少、中間層マーケットの縮小、消費購買行動の変化である。百貨店市場はピークとなった1991年の9.7兆円から2022年には4.9兆円へ、店舗数も1999年の311店から180店(2023年11月)へ縮小した。“ワンランク上” を具現するアイコンとしてのオーラは色褪せた。この30年間の停滞が百貨店の主力ラインである “ベターゾーン” を求めるモチベーションを希薄化させたとも言える。
一方、コロナ禍の反動もあり百貨店各社の業績は前年比ベースで回復基調にある。株高、円安、インバウンドの戻りが高額品消費を押し上げる。しかしながら、本質的な需給調整は終わっていないとみるべきだ。確かに富裕層市場の開拓余地は大きい。しかし、この市場は一定の需要量を越えると極端にパーソナライズしてゆく。横並びは通用しない。富裕層未満の市場も同様だ。一律のベターゾーン・マーケティングは依然として供給過剰状態にある。したがって、遍在し、細分化されたニーズをいかに掬い上げるか、言い換えればパーソナルな “らしさ” のリアルな共感をいかにマーチャンダイジングするかが鍵となる。百貨店という一括りの業態を無意味にすることが次世代百貨店の方向性であり、規模化への誘惑を捨てることが出発点となろう。

2024年1月1日、日本列島が抱える最悪の自然災害リスクが能登半島において現実のものとなった。犠牲になられた方に深く哀悼の意を表すとともに被災地の日常の回復を願うばかりである。他人事ではない。首都圏直下や南海トラフ地震も「30年以内に70~80%の確率」で発生するとされる。つまり、今、まさにこの場所、この時かもしれない。果たして私たちは東日本大震災が突き付けた課題にどこまで本気で向き合ってきたか、時間の経過とともにリスクに対する過小評価が進んでいないか、今一度、まっとうに自然の力を恐れる必要がある。
巨大地震の発生は1日16時10分、気象庁は直ちに大津波警報を発令、避難を促した。しかし、半島という地理的な条件、寸断された道路、複雑な地形に点在する集落、通信障害、止まない余震、これらが被災実態を把握するうえでの障害となった。官邸の特定災害対策本部が非常災害対策本部へ “格上げ” されたのは発生から7時間以上が経過した23時35分、被災地からの要請を必要としない “プッシュ型支援” を開始したとの発表は翌2日の午後、自衛隊の投入は2日に1千人、3日に2千人、、、5日に5千人と逐次投入となった。
発生から “72時間” が勝負だ。国土の危機を検知するシステム、現場での指揮系統、初動のオペレーションは適切だったのか、評価は分かれる。とは言え、4日午前には海上自衛隊の揚陸艦による海路からの輸送もはじまった。自衛隊、消防、警察をはじめ全国自治体からの支援も本格化しつつある。初動対応の在り方はいずれ検証されるはずだ。まずは不明者の捜索と被災者の生活支援に全力をあげていただきたく思う。
原発の安全基準も検証が必要だ。志賀原発の揺れは設計上の想定を上回った。放射線監視装置は15ヶ所でダウン、住民避難路は通行止めとなり、外部電源機能は一時的に失われた。流出した油量の数値や敷地内水位の値も発表後に修正、訂正された。北陸電力は “安全上問題ない” と声明したが、かつて同社がまさにここで発生した臨界事故を長期にわたって隠蔽したことを想起した人も少なくないだろう。それだけに、4日の会見、原発の安全性について見解を求めた記者に対し、無言のまま背を向け、立ち去った岸田首相にはがっかりだ。例え、会見終了のアナウンスの後であってもトップとしての責任と覚悟を自らの言葉で表明すべきであった。対話を拒否した彼の姿が残したものは賛否を越えての失望だ。

12月20日、ダイハツ工業は64車種、3エンジンの認証試験で不正行為があったと発表、OEM供給車も含め全車種の出荷と生産を停止した。4月のドアトリム、5月のポール側面衝突試験に加えての新たな不正発覚に対して、調査を担当した第三者委員会は「不正対応の措置を講ずることなく、短期開発を推進した経営の問題」と断じた。操業停止の長期化は避けられずサプライチェーンと地域経済に与える影響は大きい。
不正が急増したのは2014年以降、トヨタ向けのOEM供給が増えた時期と一致する。トヨタも同日付けのリリースで「2013年以降、小型車を中心にOEM供給車を増やしており、これがダイハツの負担となっていた可能性がある」としたうえで「ダイハツの再生を全面的にサポートする」と表明した。トヨタグループでは日野自動車や豊田自動織機でも品質不正が発覚しており、親会社トヨタ自動車のガバナンスがあらためて問われる。
とは言え、ダイハツの不正は1989年から、日野自動車は2003年頃から、豊田自動織機も2008年頃から、と各社の不正はまさに常態化していたと言っていいだろう。もちろん各社そして親会社のガバナンスに課題はあるし、生産計画、生産体制、生産管理の在り方も問われる。これらはまさに “経営の問題” である。しかしながら、果たして “個” に帰すべき問題はないか。
組織や権威に委縮し、媚び、それをもって自己を正当化する風潮がまん延していないか。低位安定に甘んじ続けたこの30年、至る所で “内向き化” が進行し、多くの “個” もそこに安住した。それは自己防衛であり処世術であるのかもしれない。しかし、そうあり続ける限り、身内に閉じた世界から抜け出すことは出来ない。ダイハツに固有の問題ではない。私たち一人ひとりがそれぞれの立場において、停滞する現状に巣くう不正や不合理に抗うことが改革と再生への第一歩であり、唯一、それが正気と成長を取り戻す近道となる。