
10月20日、日本国際博覧会協会は、国、大阪市、関西経済界に対して大阪・関西万博の建設予算の増額を正式に要請した。予算の上振れは2020年12月に次いで2度目、建設費は2018年の誘致時点における見通しに対して1.9倍、2350億円に膨らむ。建設資材や人件費の高騰が背景にあるとは言え、事業見通しの甘さと国民への甘えは度が過ぎる。追加の資金負担に対して地元経済界も難色を示しているとのことであるが当然であろう。
パビリオン建設の遅れは言わずもがな、「大阪ベイエリアを普通の人が自転車に乗るみたいに、空飛ぶクルマに乗ってぐるぐる回っているのを万博でやります」(吉村知事)と喧伝された万博の目玉「空飛ぶクルマ」も、“安全認証の取得が遅れ、量産は困難” との事業者発表を受けて、「飛べば十分。最初から地下鉄のように飛び交うイメージにはならない」へ後退した。
資金不足については、1970年の前回万博の収益金を基金として、国際文化交流や学術・教育活動への助成事業を行っている「日本万国博覧会記念基金」の取り崩しも検討されているという。一方、建設の遅れに業を煮やした与党の推進本部からは「時間外労働の上限規制の適用外へ、超法規的に対応すべき、災害だと思えばいい」などという荒っぽい声も発せられた。さすがに残業規制の緩和については政府も直ちにこれを否定したが、もはや期初事業計画の行き詰まりは明白である。
大阪府が提供する生成AIのチャットサービス「大ちゃん」に万博の成否について問うと「残念ながら中止になっちゃんたんや」と大阪弁で回答したという。これは笑い話としても、主題「いのち輝く未来社会のデザイン」は霞み、開催そのものが目的化されつつある。2014年、関西圏の「成長の起爆剤に」と万博の誘致活動はスタートした。一方、「軟弱地盤の解消などインフラ整備コストを万博に肩代わりさせ、IR(統合型リゾート)の事業採算性を高める一石二鳥こそが狙い」との見方もある。いずれにせよ、例え万博を黒字で終えることが出来たとしても、イベントによる一時的な高揚が持続的な成長の土台になることはない。昭和は遠く、GDP世界第4位への転落が秒読みに入った令和の今、税金を投じる先はここではない。

先週末(13日)、政府は第5回「食料安定供給・農林水産業基盤強化本部」会議を開催、食料の安定供給に向けての緊急対応パッケージをまとめた。政策の柱は、輸出促進、グリーン化、スマート化、食料安全保障の強化の4分野で、今月末を期限にとりまとめる経済対策に反映させるとともに、年末を目途に「食料安全保障強化政策大綱」を改訂する。
「過度な輸入依存から脱却し、国内供給力を高めることで食料安全保障の強化をはかる」ことを狙いとする政策大綱がリリースされたのは昨年末、生産資材の国内代替転換、化学肥料の使用削減、麦や大豆等の国内生産基盤の強化、米粉の利用拡大、ICTを活用した成長産業化、輸出促進、食品ロスの削減等の施策が数値目標とともに掲げられた。そして、これらの実現に向けて “適正な価格形成と国民理解の醸成が必要である” ことが明記された。
基幹的農業従事者の急速な減少と高齢化は、生産基盤の弱体化を確実に加速させる。国内の農地は昭和30年代半ばのピークから3割減った。作付(栽培)面積に至っては5割を割り込んでいる。食料の国内供給力の維持と強化をはかるためには農業従事者の安定的な確保と生産性の向上は不可欠だ。そのためには農業を “稼げる産業” に進化させる必要がある。そう、農業の問題は食料の問題にとどまらない。国土の在り方そのものの問題であり、かつ、経済システムの問題でもある。まさに喫緊の重要課題である。
とは言え、否、それゆれに食料安全保障は、円安と資源高を背景とする “物価高” への対応を骨子とする経済対策とは次元を異にする構造問題である。したがって、災害など想定外の緊急事案に局所的に対応するための “補正予算” の中で扱われるべきものではない。これまで投じられてきた莫大な農業関連への財政支出の効果検証を踏まえ、本予算の中でしっかりと審議していただきたい。そもそも、政策大綱と緊急パッケージにしれっと書き込まれた「適正な価格形成と国民理解の醸成」とは食料安全保障の強化に伴うコストの価格転嫁、すなわち、国産化シフトによる “値上げ” を暗示するものであり、緊急措置としての物価対策とは本質的に相反するのだから。

10月9日、2023年のノーベル経済学賞にハーバード大学教授で女性の雇用率や男女間の賃金格差を研究してきたクラウディア・ゴールディン氏(米国)が選ばれた。受賞を受けての記者会見では日本の雇用状況にも言及、「働く女性は著しく増えた。しかし、パートなど時間労働が多く、男女間の雇用格差は大きい。女性を労働力として働かせるだけでは問題は解決しない。本当の意味で女性の社会参画は進んでいない」と指摘した。
さて、その翌日。埼玉県自民党県議団は6日の県議会福祉保健医療委員会で可決した「埼玉県虐待禁止条例改正案」を撤回すると発表した。改正案は子どもの放置を虐待と位置づけるものであるが、問題視されたのは放置の範囲である。小学3年生以下の子どもを家に残したまま保護者が外出すること、高校生のきょうだいに子どもを預けること、子どもだけで公園で遊ばせること、子どもを置いてのゴミ出し、子どもだけの登下校など、、、これらはすべて虐待とされ、すなわち条例違反となる。
加えて問題なのはこれに「通報義務」が課される点だ。学童保育など子育て支援の行政施策の拡充を後回しにする一方で、「県民に条例違反の監視を義務付けることが社会全体で子どもを見守ることにつながる」とされた。
当然ながら県内はもちろん全国から「あまりにも非現実的、母親の行動制限につながる、子育ての実態から乖離している」との批判が相次ぐ。結果、撤回せざるを得ない状況に追い込まれるわけであるが、撤回理由はあくまでも「説明不足」であって、内容に瑕疵はない、との立場は崩さない。
日本が国連の「子どもの権利条例」を批准したのは1994年、世界で158番目だ。そのうえ、これに対応した「こども基本法」の整備に28年を要している。背景には「個人主義の過度な重視は伝統的な役割分担にもとづく家族の破壊につながりかねない」とする保守派の根強い危機感がある。“こどもまんなか” を謳う行政機関に “家庭” の二文字が加えられたことも「家族のあるべき姿」への意図が込められていると言え、今回の騒動もこれに連なるものと解せよう。先のゴールディン氏は、日本社会の状況を「女性の働き方の変化に適応できていない」としたうえで、「出生率の改善は難しい。なぜなら年配の人を教育する必要があるため」と喝破した。なるほど、その通り。さすがはノーベル賞だ。

10月1日、複雑に細分化した酒税を段階的に改定し、簡素な税体系を目指すとした2017年の酒税法改正にもとづく2回目の税率変更が実施された。ターゲットはビール系飲料だ。改定前→1回目の改定時(2020年)→今回改定後の350mlあたりの税額は、ビールが77円→70円→63.5円、“発泡酒” は46.99円そのまま、所謂 “第3のビール” は28円→37.8円→46.99円となった。2026年にはこれらはすべて54.25円に一本化される。つまり、ビールは減税、発泡酒と第3のビールは増税ということになる。
戦後、消費者にとってビールはまだまだ「ぜいたく品」であったが、高度経済成長に伴い市場は順調に拡大してゆく。一方、90年代、酒類販売免許の緩和が進む中、価格競争が激化、メーカーは麦芽使用率で定義されたビールの税率が適用されない新たな低価格ビール “発泡酒” を開発、消費者の支持を獲得する。すると当局は麦芽率の規定を変更し、発泡酒の税率を引き上げる。メーカーはこれに対抗、新区分をすり抜ける “第3のビール” を市場投入する。要するに両者のいたちごっこが繰り返されてきたわけであるが、今回の改定は税収を増やしたい当局と低価格競争を脱したい業界による言わば “手打ち” といったところだ。
酒税改定を受け、業界では「ビール回帰」の期待が高まる。小規模メーカーにとっても追い風だ。一方、生活防衛需要も大きい。税率が据え置かれた缶チューハイやレモンサワーなど “RTD市場※1”にとっても好機だ。とは言え、根本の問題は税率ではなく、市場の絶対的な縮小である。週に3日以上かつ1日に1合以上のお酒を飲む男性、つまり、業界の主要顧客である飲酒習慣がある男性の割合は、コロナ禍前の2019年調査で60代46.6%、50代41.4%、40代38.3%、30代24.4%、20代12.7%であったが、20年前(1999年)と比べるとそれぞれ▲8.6、▲22.9、▲22.3、▲24.4、▲21.3ポイントの減少だ(厚生労働省、国民健康・栄養調査より)。
とりわけ、Z世代にとって “ソーバーキュリアス※2” な生活スタイルはもはや完全に定着していると言え、したがって、あえて飲まない彼ら世代や非主要顧客層の需要をいかに喚起するかが業界にとって最大のテーマである。そう、発泡酒や第3のビールの可能性はここにある。当局との知恵比べと熾烈な価格競争の中で多様化してきたビール系飲料は糖質抑制をはじめとする健康訴求を付加価値として提案してきたはずだ。RTD市場の伸長も食事とのペアリング、低アルコール需要の拡大が背景にある。ビールがぜいたく品であった時代は過去のものだ。ノンアルコールも含め「本物か、模倣か」といった尺度を越えた次元に新たな市場創造の可能性がある。
※1)RTD市場:Ready To Drink、栓やふたを開けてそのまますぐに飲める飲料という意味。缶チューハイ、缶ハイボール、缶レモンサワーなど低アルコール飲料を指す業界用語
※2)ソーバーキュリアス(sober curious):お酒を飲めるが、あえて飲まない生活スタイルを指す造語。健康意識の高まりや自分の時間を大切にしたい若い世代の拡大が背景にある

9月27日、政府は、所謂「年収の壁」問題の解消に向けた施策を発表した。従業員101人以上の企業に勤めるパート従業者に社会保険の納付義務が発生する「106万円の壁」については、賃上げや手当の支給など手取り額の減少を防ぐ措置を講じた企業に対して1人あたり最大50万円を助成、また、従業員100人未満の企業等で働くパート従業者が配偶者の扶養から外れる「130万円の壁」については、これを越えても健康保険組合等の判断で連続2年間は扶養にとどまることが出来るようになる。
厚生労働省の推計によると「106万円の壁」を意識して労働時間を抑制している可能性があるパート従業者は約45万人(第7回社会保障審議会年金部会資料より)、とりわけ、慢性的な人手不足にある流通業やサービス業にとって、年収が106万円に達すると125万円を越えない限り「たくさん働いた方が損する」制度の改善は喫緊の課題であった。こうした声に応えるべく政府の “こども未来会議” も今年度中に是正措置を固め来年度から実施するとの方針を示していた。しかし、10月から実施される最低賃金の引き上げが更なる労働時間調整につながりかねないとの危機感から前倒しされた格好だ。
今回の措置は “もっと働きたい” パート従業者にとって朗報であり、現場の人手不足にも一定の効果があるだろう。しかし、問題の本質は「第3号被保険者制度」そのものにある。これは戦後の日本経済を支えてきた中流世帯の専業主婦の無年金化を防ぐための施策として1986年に導入されたものであるが、被扶養者であることの “お得感” とのバランスにおいて結果的に女性の社会参加を遅らせることになった。そもそも自営業者の配偶者には適用されないし、独身者やフルタイムの共働き世帯に恩恵はない。それどころか保険料を納めていない主婦の年金原資をなぜ負担せねばならないのか、といったもやもや感の種にもなる。
加えて、もう1つの弊害は、年収を増やしたくないパート従業者の存在が時給水準を抑える暗黙のドライブとして機能してきたということだ。企業は低賃金の非正規拡大による恩恵を長期にわたって享受してきた。しかし、労働人口の縮小とともに新規のパート従業者の流入が細ってくると一転、人手不足という経営リスクに直面する。年金制度の改革は2025年度に予定されている。産業、世帯、働き方、人口動態の変化を見据えた持続可能な社会保障制度を描き出していただきたい。現行制度を直ちに廃止することは出来ないだろう。新制度への円滑な移行を実現するためには十分な原資が必要だ。すなわち、企業にも稼ぐ力の絶対的な強化が求められているということである。

9月18日、カナダのトルドー首相は、この6月にカナダ国内で発生した殺人事件にインド政府が関与していたと発表した。被害者はインド北部パンジャブ州の分離独立運動(カリスタン運動)を指揮したシーク教の指導者ニジャール氏、インド当局からテロリストとして指名手配され、難民としてカナダに移住、カナダ国籍を取得していた。当然ながらインド側はトルドー氏の発言を全面否定、結果、両国が進めていた経済協定交渉は中断、互いに相手方外交官を国外追放するなど、二国間関係は極度に悪化しつつある。
トルドー氏は今月9日からインドで開催されたG20に出席した際、本件についてモディ首相に問い質したとのことであるが、そう言えば、その議長席の国名表記がインド(India)ではなくバーラト(Bharat)であったことが今更ながら思い起こされた。Bharatは古代インドの伝説上の領土を意味するサンスクリット語、一方、Indiaは英国植民地時代の呼称である。法律ではいずれも正式な国名と規定されているが、G20という場であえてバーラトを使ったことに人口の8割を占めるヒンズー教徒に支えられたモディ氏の政治姿勢が表れている。
インドからの分離独立を求めるカリスタン運動は、国家の安全を脅かす非合法活動と規定されている。人口比2%に満たないシーク教徒はこれを宗教弾圧、言論統制、人権侵害と反発する。締め付けは人口比14%を占めるイスラム教徒にも向けられる。2019年にはイスラム教徒が多いジャム・カシミール州に認めていた自治権を剥奪、パキスタンとの領有権問題が残るこの地域の実効支配を強める。ヒンズー至上主義を掲げ、ヒンズーによる国家統合を目指す「インド人民党(BJP)」を支持基盤とするモディ氏にとって領土の一体性は言わば “核心的利益” ということだ。
1947年、独立に際してインドが掲げた理想は「多様性の統合」であり、憲法は世俗主義にもとづく政教分離を謳う。しかしながら、宗教、民族、地域間の対立に収束の兆しはない。そうした中、モディ氏の強い指導者ぶりは多数派にとってある種の快哉であったのだろう。巨大な成長市場を背景に全方位外交を展開するインドの国際的なプレゼンスは高まる。一方、国内における極端な右傾化と少数派の排除は新たな不満と分断の土壌となりつつある。来春には総選挙がある。結果は予断を許さない。いずれにせよ将来にわたって多様性に満ちた民主国家であり続けるためにも世俗主義の再興に期待する。