今週の"ひらめき"視点

当社代表が最新のニュースを題材に時代の本質、変化の予兆に切り込みます。
2024 / 10 / 11
今週の“ひらめき”視点
8月、実質賃金マイナス、個人消費失速。デフレ脱却に向けての覚悟を

10月8日、厚生労働省は毎月勤労統計調査の8月速報を発表した。就業者の現金給与総額は名目ベースで296,588円(前年同月比+3.0%)、うち一般労働者は377,861円(同+2.7%)、パートタイム労働者が110,033円(同+3.9%)となった。前者の所定内賃金、後者の時間当り給与もそれぞれ2.9%、4.8%と前年同月を上回った。しかしながら、物価変動の影響を除いた実質賃金は同▲0.6%と3カ月ぶりにマイナスに転じた。

実質賃金のマイナスは8月の消費者物価が前年同月比+3.0%と賃金の伸びを上回ったことによる。とは言え、「27カ月ぶりのプラスとなった6月そして7月も夏季賞与による押上効果によるものであって、そもそもの “基調” は変わっていない」との見方も出来る。ただ、マイナス幅は縮小しており、それだけに “夏” への期待もあった。

そこに水を差したのが、南海トラフ地震臨時情報の発出とお盆休みのタイミングで警戒が呼びかけられた台風である。結果、8月の消費支出は実質ベースで1.9%のマイナスとなった。とりわけ、自動車販売、国内パック旅行の不振による「交通・通信」と「教養娯楽」が低迷、前者が▲17.1%、後者が▲6.9%と個人消費を押し下げた。一方、極端な伸びを示したのが記録的な猛暑に伴うエアコン需要(+22.7%)とコメ(+34.5%)、カップ麺(+18.1%)、トイレットペーパー(+17.2)といった災害備蓄関連の消費である(総務省「家計調査」より)。

8月の統計データは、日本中が巨大地震に身構え、猛暑に喘ぎ、物価高に苦しんだことを伺わせる。今、中東情勢の緊迫化に伴い原油市場の先行きが懸念される。米国は雇用情勢が好転、大幅利下げの観測が遠のく。為替の修正の遅れは輸入物価の高止りを意味する。アベノミクス、官製春闘、新しい資本主義を経て、未だ “デフレ脱却宣言” には至っていない。こうした中、牛丼大手3社が「並盛300円台」を謳った期間限定の値下げキャンペーンを一斉にスタートさせた。再び “安い日本” に閉じてゆくか、“金利のある世界” での成長に賭けるか、私たちは大きな岐路にある。

2024 / 10 / 04
今週の“ひらめき”視点
DIC川村記念美術館、休館へ。“色彩”との物語を軸にリブランディングを

※ DIC川村記念美術館(筆者撮影)

9月30日、DICは “DIC川村記念美術館” の休館開始時期を2025年1月下旬から3月下旬に延期すると発表した。DICは2023年12月期決算における最終赤字を受け、外部による経営諮問機関「価値共創委員会」を設置、美術館運営の在り方について議論を重ねた。結果、「資本効率という面において有効活用されていない」として、8月27日、年明け1月下旬から休館すると発表した。しかし、これ以降、来館者が急増したため、今回の延期となった。

美術館がターゲットとなった背景には昨年12月28日時点で6.9%の大株主となった香港の投資ファンド「オアシス・マネジメント」からのプレッシャーがあっただろうことは想像に難くない。取締役会は、社会的価値と経済価値の両面から美術館運営の位置づけを再考するとし、「運営中止の選択肢も排除しない」としつつ、「ダウンサイジング&リロケーション」を具体的なオプションとして検討、年内に今後の運営方針を決定する(8月27日付、同社リリースより)。

所蔵754点、うちDIC所有は384点、簿価112億円、市場価値10億ドル超、と言われるコレクションは2代にわたる創業家社長によるもの。インキを祖業とし、色彩に魅了された創業家のアイデンティティそのものと言える。美術館に入って最初の展示室に飾られたレンブラントをはじめ、ルノワール、モネ、ブラックなど近代を代表する作家の作品は一級品揃いであり、ステラ、トゥオンブリー、ポロックといった現代美術の充実ぶりは傑出している。とりわけロスコの作品7点が常設展示されている “ロスコ・ルーム” は圧巻だ。因みに筆者のお気に入りはポロックの “緑、黒、黄褐色のコンポジション”(1951)である。

日本屈指の企業ミュージアムである同館の閉鎖、収蔵品の散逸は、美術界はもちろん、DICのコーポレートブランディングにとっても損失となろう。「進化した “Color&Comfort” の価値提供を通じて、株主利益を包摂する社会的利益を追求する」(DIC Vision2030より)との言葉どおり、経営の立て直しを急ぐとともに文化資産を保有するものとしての社会的責任の履行を願う。最後に、19世紀フランスの詩人・劇作家ゴーティエ(Gautier)の一節を。「美しいものは生活に必須ではない。しかし、花のない世界を望む人がいるだろうか?(モーパン嬢、1835)、「これが何の役に立つのか、ですって?美しくあるために役立つのです。それで十分ではないでしょうか」(アルベルトゥス、1831)。

2024 / 09 / 27
今週の“ひらめき”視点
長崎、「被爆体験者」訴訟。時間はない、完全な救済と記憶の継承を

※ ももせいづみ 画(絵本「赤い日傘」より)

9月24日、国が定めた被爆援護対象地域外で被爆した “被爆体験者” の一部を被爆者と認めた長崎地裁の判決に対して、長崎県と長崎市が控訴した。地裁判決は、原告44人のうち被爆者援護法の指定地域外ではあるが「黒い雨」を浴びたことが確認出来た15人を被爆者と認定、残る29人の訴えは退けた。

判決を受け、国は残された “被爆体験者” に対して被爆者と同等の医療助成を行う新たな制度を創設すると表明、その一方で過去の判例と整合しないことを理由に控訴方針を固めた。当初、県と市は判決を受け入れる旨の意向を表明していたが、結果的に国の決定に従った。これに対して原告側も「被爆者を差別すること自体が不合理である」と控訴する方針である。

原告が発した「差別」という言葉の意味は重い。戦後20年を経てなお差別と後遺症に苦しむ広島を記録した「この世界の片隅で」(山代巴編、1965年7月発行、岩波書店)に描かれた被爆の実相は、79年後の今に至るまで続いているということだ。原告に残された時間は多くない。退陣まであとわずかとは言え、広島を選挙地盤とする現首相の政治決断に期待したい。

被爆者と共有できる時間が限られる中、被爆の記憶を未来へつなぐための様々な活動が市民レベルで始まっている。広島出身の筆者の妻も仲間とともに、7歳で被爆した水江顕子氏と姉の高梨曠子氏の被爆体験記「ヒロシマ」の英語版を2020年に出版、2023年には母校ノートルダム清心中・高等学校と広島女学院高等学校の生徒による英語による朗読動画を作成した。また、同書の多言語化に取り組むとともに、銅版画作家のももせいづみ氏に参画いただき、この夏、絵本「赤い日傘」を出版した。ももせ氏とは新たなプロジェクトもスタートしている。是非一度、朗読動画(日、英)をご覧いただき、それぞれのお立場にて記憶の継承にご協力いただければ幸いです。絵本も是非どうぞ。

※Team Akikoホームページ:https://team-akiko.jp/
※絵本のお申込みはこちら:https://team-akiko.jp/red_parasol_form/

2024 / 09 / 20
今週の“ひらめき”視点
ジャパン・クオリティへの信頼、揺らぐ。内に閉じた組織の論理を廃せ

9月18日、海上保安庁は2022年4月に知床半島で沈没し、乗客乗員20人が死亡し、6人が行方不明となった観光船「KAZU1(カズワン)」の運航会社「知床遊覧船」の社長を業務上過失致死容疑で逮捕した。事故から2年半、当時のニュース映像が伝えた同氏の不誠実さは記憶に新しい。本件では総額15億円の損害賠償を求める集団訴訟も起こされているが、杜撰な安全管理体制に対する刑事責任がようやく追及されることになる。

その前日、国土交通省はJR九州高速船(株)に対して、「輸送の安全の確保に関する命令」と「安全統括管理者及び運航管理者の解任命令」を発出した。処分は同社が博多・釜山間で運航する旅客船「クイーンビートル」が浸水の事実を隠蔽、当局への報告義務を怠ったうえ運航を継続していたことに対するもので、責任者である取締役2名を解任せよとの命令は全国初である。

「クイーンビートル」で浸水が確認されたのは2023年2月、当局や親会社に報告することなく数日間運航を継続、以後、ドック入渠と運航再開を繰り返し、同年6月、最初の「安全確保命令」が出される。しかし、2024年に入ってからも浸水隠しは止まず今回の措置となった。隠蔽はJR九州から派遣された前社長の指示のもと行われたとの報道もあるが、浸水警報が鳴らないようセンサーの位置を変えるなど、その手口は悪質だ。船舶の管理や航行の安全に対するルールは「KAZU1」事故の悲劇を受けて厳格化されたが、JR九州子会社の事案は海の安全を願う関係者へのまさに裏切り行為である。

さて、ここまで書いたところでJR東日本の東北新幹線で走行中の列車の連結器がはずれ、車両が分離した状態で停止したとのニュースが入ってきた。東北新幹線では年初に架線が破損するトラブルがあった。装置は交換の目安となる30年を越えていたという。JR貨物では検査不正だ。これを受けて全貨物列車の運行が止まった。東京メトロでも輪軸検査で不正が発覚した。自動車、船舶エンジン、自動二輪、建機、そして、鉄道。ジャパン・クオリティを代表する企業で相次ぐ不正行為に “停滞への怖れ” に委縮してゆく組織と個人の姿を見るようだ。まずは企業人一人ひとりが自身の判断と行動の基準を問い直すことことから始めていただきたい。再生とイノベーションの起点はそこにある。

2024 / 09 / 13
今週の“ひらめき”視点
EV失速、新たなモビリティ需要の創出に向けてイノベーション投資の継続を

9月10日、フォルクスワーゲン(VW)は「2029年まで雇用を保証する」とした雇用保障協定の破棄を労働組合に通知、コスト削減策の一環として「検討中」とされてきたドイツ国内工場の閉鎖が現実の問題として従業員に突き付けられた。国内工場の閉鎖は1937年の設立以来はじめてであり、国内約30万人の従業員に与えたインパクトは大きい。ドイツ最大の産業別労働組合「IGメタル」は直ちに反対を表明した。

VWの国内リストラの背景にはエネルギーコストの高止まりといったドイツ固有の問題もある。しかし、販売不振の要因は言うまでもなくEV市場の失速だ。VWはディーゼル車の排ガス不正問題を契機に一挙にEV投資に舵をきった。しかし、中国の新興専業メーカーの急速な台頭と低価格化、そして、中国、欧州、米国における成長鈍化が事業計画を狂わせた。“見込み違い” はVWだけではない。「2030年までに完全EV化」を宣言していたメルセデス・ベンツやボルボは達成時期の再考を表明、GMやフォードもEV投資の縮小を発表、テスラも当期業績見込みを下方修正した。

EV市場の低迷が顕在化する中、ハイブリッド(HEV)需要が伸長、トヨタの “全方位” 戦略への評価が高まる。とは言え、そもそもエンジン車(ICE)からEVへの “転換” が思惑どおり進まないのは欧米日など巨大なICE産業と成熟した市場を擁する地域の話であって、自動車産業の育成と本格的な市場形成が “これから” の国では様相が異なる。東南アジアは今がそのタイミングであり、地理的にも有利な中国EVメーカーにとって輸出と直接投資の恰好のターゲットだ。結果、これまで “日本車の牙城” と言われてきた東南アジアにおける日本勢のプレゼンスはEV比率の拡大とともに低下が避けられない情勢だ。

国際エネルギー機関(IEA)はEVの成長要因として①気候変動対策、②石油依存に対する経済安全保障上のリスク軽減、③イノベーション、の3つを挙げる。しかしながら、①脱炭素は大事だけどトータルコストはまだまだ割高だ。②電池材料に対する経済安全保障上のリスクも無視出来ない。とすれば③だ。EVはITやAIとの親和性が高く、したがって、自動運転のプラットフォームにも乗せやすい。既存のICE市場の “置き換え” に止まらない需要創造領域が新たな競争フィールドでもある。「やっぱりトヨタは正しかった」などと安堵している場合ではない。今こそ未来のその先に向けて、事業戦略の問い直しとイノベーション投資を加速すべきである。

※関連記事
「EU、中国製EVの輸入関税引上げへ。中国発価格競争の波及を警戒」今週の"ひらめき"視点 2024.6.9 – 6.13

2024 / 09 / 06
今週の“ひらめき”視点
インバウンド経済拡大。全体視点から “おもてなし” 戦略の再構築を

百貨店売上が好調だ。7月の全国百貨店売上高は5,011億円、前年同月比+5.5%、前年を上回るのは29カ月連続、全体の約8割を売り上げる都市部の百貨店がこれを牽引する(日本百貨店協会)。主要10都市の百貨店売上は3,921億円、同+8.2%、34カ月連続で前年を上回った。そして、都市部の好調さを押し上げているのがインバウンドによる高額品需要である。7月単月の免税売上は633億円、同+2.3%、コロナ禍前の2019年7月の約2.2倍、1~7月の累計は3,978億円、過去最高だった2023年の売上総額を既に越えている。

実際、訪日外国人(外客)数は既に2024年上半期の時点において、コロナ禍前の2019年1~6月期を100万人上回る1,777万人を記録、過去最高となった(日本政府観光局)。7月も前年同月比+41.9%の329万人、単月として過去最高を記録した。国別にみると77万6千人の中国がトップであるがコロナ禍前と比較すると26%減、団体ツアーから個人旅行へのシフトが顕著だ。一方、韓国、米国、カナダ、豪州、フィリピン、インドネシアなど19カ国が7月としては過去最高となった。こうした訪日客層の質的変化と円安がコロナ禍前の所謂 “爆買い” とは異なる需要を生み出している。

一方、オーバーツーリズムも深刻になりつつある。「バスに乗れない」やごみの不法投棄が問題化した京都をはじめ、一部では住民、行政との対立もはじまった。とりわけ今年話題となったのが「富士山」である。SNS映えが有名となったコンビニ店前の巨大な「黒幕」、山梨県による登山道へのゲート設置、夜間閉鎖、通行料徴収など、富士山界隈ではあえて観光客を制限するための施策が講じられた。もちろん、迷惑行為の主体は外国人だけではないが、特定スポットへの “集中” の度が過ぎるということだ。

インバウンドの経済効果は大きい。業界や地方は競うように外需の取り込みを目指す。ただ、全体としてのちぐはぐ感も出てきた。今年5月、あまりの不便さに対する批判を受けて計画半ばで頓挫したJR東日本の “みどりの窓口削減” 問題もその一つだ。そこにあったのは効率優先の同社の “ご都合” だけでありインバウンドを含む利用者視点は欠落していた。オーバーツーリズムも然りだ。「これからはクオリティで勝負だ」、「ターゲットは富裕層だ」などと口を揃えても、利用しづらい公共交通、不衛生な街、どこに行っても長蛇の列、挙句、住民から歓迎されないのでは観光立国の実現はおぼつかない。総体としての日本の魅力をどう維持し、向上させるか、全体視点からの取り組みが必要だ。