今週の"ひらめき"視点

当社代表が最新のニュースを題材に時代の本質、変化の予兆に切り込みます。
2017 / 01 / 27
今週の"ひらめき"視点
トランプ大統領始動、世界は拡散と混乱へ向かうのか

20日、16分という短い就任演説において、「勝利はあなた方のものであり、アメリカ合衆国はあなた方の国だ」とトランプ氏は語りかけた。しかし、彼を支持する“あなた方”以外の国民が抱く懸念を払拭させる内容はなかった。演説は選挙期間中そのままの彼が、第45代アメリカ合衆国大統領として、あらためて「アメリカ第1主義」を世界に対して宣言したものであった。偉大なアメリカの実現に向けて「米国製品を買い、米国人を雇う」と語った彼は、言葉どおりTPPからの離脱とNAFTAの再交渉を表明した。

仏の歴史人口学者エマニュエル・トッドは、米国が主導したこの35年間のグローバル化を「世界の解放、エリート主義、階級への分裂、収入の格差、社会的経済的不平等が広がった時代」と捉え、その反動として「国民国家の枠組みへの回帰」がはじまった、とトランプ現象を総括、「世界は一致に向かっていない」と断じた(「グローバリズム以後」、朝日新聞出版)。
確かに、トランプ氏やサンダース氏の登場、また、英国のEU離脱も“時代の大きな流れの中での必然である”と理解すべきであろう。
暴走したグローバリズムに一定の調整は必要であり、国民国家や共同体が再興してゆく過程で民主主義の危機が超克されるのであれば、それは希望となる。

現時点でトランプ政権の行方はまだ完全に見えない。しかしながら、もしも超大国アメリカが、力を背景に排外主義の徹底を強行するのであれば、新たな差別、分断、萎縮、不正義、そして、暴力を国内そして世界に呼び込みかねない。
未来の歴史学者にとって、それは“時代の移行期における一時的な混乱”に過ぎないかもしれない。しかし、今を生きる私たち自身が“時代の必然”などと正当化してはなるまい。求められているのは時代をつなぐビジョンである。

2017 / 01 / 20
今週の"ひらめき"視点
ブリグジット、正式表明。世界の関係が“取引化”する中にあって、英国とEUは新たな理念を提示できるか

17日、英国のメイ首相はEUからの完全離脱を宣言した。ヒト、モノ、サービスの自由な移動を保証する単一市場から離れ、独立国としての権限を取り戻す。
一方、メイ氏は「野心的な自由貿易協定」を各国と締結し、“グローバルな貿易立国”を目指すとも表明した。
EUとの交渉は容易ではあるまい。そもそも英国の正式な離脱は2年という交渉期間の終了後であり、この間における第3国との交渉は禁じられている。移行期間の設置も取り沙汰されるがこれもまだ不透明である。

日本から英国への直接投資額は22億1000万ポンド、1000社を越える企業が英国に拠点を構える。そして、その多くが英国を含む単一市場EUを見据えての進出である。
経営環境の不透明感は募る。しかし、それゆえに現時点で過剰に悲観する必要はない。むしろ、欧州戦略を見直す好機として、シンプルに自社の海外事業を問い直すことが最大の備えとなるはずだ。

今、米国の行方も見えない。習金平氏はダボス会議で「他国を犠牲にして自国の利益追求をしてはならない」とトランプ氏に釘を刺したというが、自国の政策を省みればそれもまた「取引」の言葉にしか聞こえない。
大英帝国の盟主、英国が自治植民地に対して本国との対等な地位を認めたのは1931年のウェストミンスター憲章である。以後、各国は独立へと進む。立場は逆転した。時間はかかるだろう。しかし、この交渉を通じて英国が“開かれた独立国”として新たな国家観を確立し、一方でEUも地域統合の理想と制度を再定義し、そのうえで両者が生み出す“グローバリズムの次のステージ”に期待したい。

2017 / 01 / 13
今週の"ひらめき"視点
海外投資における意思決定の要件は流動化し、複雑化し、混迷する

アサヒビールが中国における牛乳事業からの撤退を発表した。同社は2008年に中間層~富裕層をターゲットに高級牛乳市場に参入したが、業績好転の見通しが立たず現地食品企業への譲渡を決定した。
戦略の見直しは日系企業にとどまらない。2400店を運営するマクドナルドは中国忠信集団(CITIC)に約2400億円で事業売却を決定、ケンタッキー・フライド・チキンやピザハットを運営するヤム・ブランズも中国事業を分離、アリババなど現地企業の出資を受け入れた。
人件費の高騰、現地企業の台頭、成長スピードの鈍化など、市場環境変化は急速であり、外資大手による従来型の中国戦略に限界が来ていることは明らかである。

しかし、戦略転換の背景には一企業の戦略条件を越えた経営リスクの増大懸念がある。
資本の海外流出、構造改革の遅れ、格差の拡大、環境や民族問題への対応を迫られる中国であるが、その中国を牽制するトランプ氏もまたグローバリズムによる負の側面によって権力の座へ押し上げられた。内に抱える問題、そして、大衆との向き合い方も類似する。

自国利益の極大化を大義とする政権の施策は、“通常”の経済政策の範疇を越えかねない。自ずと対外的には硬化し、やがて対立する。影響はどのように、そして、どこまで拡大するのか。行き過ぎたグローバリズムの反動が“行き過ぎない”ことを願う。

2017 / 01 / 06
今週の"ひらめき"視点
本質から目を逸らさない。唯一ここが不確実性を乗り越える出発点となる

ミャンマーのイスラム系少数民族ロヒンギャ問題について、マララ・ユスフザイ氏をはじめとするノーベル平和賞の受賞者11人を含む国際的な人権活動家23人は、アウン・サン・スーチー国家最高顧問兼外相を非難する書簡を共同で国連安保理に送付した。
書簡は「ミャンマー国軍による武装勢力の掃討作戦によって数百人規模のロヒンギャが殺害され、数万人が難民生活を強いられている」と指摘したうで、スーチー国家顧問の不作為を批判している。

一方、ミャンマー政府はロヒンギャに関する国際的な批判の高まりを受けて、ミン・スエ副大統領を責任者とする調査委員会を設置、事実関係を調査してきたが、3日、「虐殺や宗教上の迫害はなかった」との中間報告を発表した。とは言え、治安当局による暴力行為の映像が世界中に拡散する中にあって、「国軍による弾圧はなかった」と結論づけた政府への不信は拭えない。

昨年4月、大統領資格を持たないスーチー氏は「大統領を越える存在になる」と言い放って、新設した国家最高顧問に自ら就任した。その彼女が、国軍による掃討作戦が展開されているまさにその最中、11月に来日した。日本政府はミャンマー新政権を「自由、民主主義、基本的人権、法の支配といった基本的価値観を共有するパートナー」であると評し、官民をあげて彼女を歓待、経済支援を約束した。しかし、彼女が率いる今のミャンマーは本当に価値観を共有するパートナーであるのか。私たちは事実を知らないままこの政権を支援するのか。いや、知ったうえでの支援であるのか、

米トランプ次期政権の行方が見えない中、「2017年は不確実性が高まる」とメディアは口を揃える。しかし、それゆえにこそ私たちは“基本的な価値観”というアイデンティティに拘るべきである。そうであってはじめて揺らぐことのないポジションを世界の中に確立することが出来る。決して本質から逸脱しないこと、そこが“確からしさ”の唯一の基盤となる。

2016 / 12 / 30
今週の"ひらめき"視点
東芝、再び経営危機へ。問われるのは原子力事業の将来価値

東芝は子会社のウェスチングハウス(WH)が買収した原発建設会社CB&Iストーン・アンド・ウェブスター(S&W)に関連して数千億円規模の減損が発生すると発表した。報道によれば、「メーカーであるWHと建設会社であるS&Wは従来から共同で原発開発事業を推進してきた。しかし、工期や費用等の管理においてトラブルが頻発、これらを一元管理する目的で傘下に治めた」という。そもそもの買収目的が「後ろ向き」であるとも言えるが、親会社の事業管理能力に対する批判は免れまい。

2016年3月、東芝は、原子力事業を「業績変動リスクの大きいメモリー事業を補完する安定事業」と位置づけ、2030年までに45基を新規受注する、との計画を発表した。しかし、東日本大震災以来、国内で新規需要は見込めない。結果、海外需要の取り込みが唯一の新規需要となる。政府もこれを後押しする。一方、コストに利益を上乗せして電気料金で回収する“総括原価方式”を採用する電力事業者と一体的に事業を推進してきた国内メーカーにとって、ファイナンスから建設、納入までの工程、費用管理を一貫してメーカーが手掛ける海外事業のハードルは高い。加えて、相手国の統治システムや政治体制からの影響も大きい。WHはインドで6基を受注済みであるが、新興国であればカントリーリスクは高まる。

先般、経産省は福島第1原発の事故処理費用が20兆円を越えると発表した。また、1兆円もの国費を投じてきた“もんじゅ”の廃炉も決定した。国の原子力政策が根本から修正されてゆく中、産業としての原発も重大な岐路に立つ。

2016 / 12 / 23
今週の"ひらめき"視点
もんじゅ、廃炉。長い夢は終わった。

発電しながら燃料を生み出す、夢の原子炉「もんじゅ」の廃炉が決まった。1994年の初臨界から22年、相次ぐトラブルのため稼動日数はわずか200日、毎年200億円以上の維持費が投下され、再開には少なくとも8年の準備期間と5400億円の追加費用が必要とされる。一方、運営者である日本原子力研究開発機構はその杜撰な安全管理体制をもって原子力規制委員会から「運営者として不適切」との烙印を押されたままである。
こうした経緯と状況を鑑みると総額1兆円を越える国費を投入してきた「もんじゅ」の夢はとうの昔に潰えていたと言える。

廃炉には今後4000億円近くの費用が必要となる。しかし、事故処理に20兆円もの費用がかかる福島の現実を突きつけられた国民にとって、それはむしろ合理的な判断と映るだろう。国際的なウランの需給見通し、次世代エネルギーの成長可能性といった点からも「もんじゅ」に対する追加投資の大義は見つけにくい。

原子力技術を引き継ぎ、高度な研究体制を維持することに異論はない。再稼動の賛否を越えて私たちはその社会的コストを引き受ける責任がある。とは言え、日本の原子力政策が重大な岐路にあることは間違いない。従来路線のまま「高速炉の開発は維持する」(政府)では、夢から覚めることはできない。今、私たちは未完の巨大技術に対する夢を捨て、原子力の新たな可能性とエネルギーの新たな未来を構想すべき時にある。