
日米首脳会談が目前に迫った。米国第一主義を掲げるトランプ政権に対して、日本は「日米成長雇用イニシアティブ」という経済パッケージを準備しているという。公的年金(GPIF)を含む日本側資金を最大限活用し、米国内インフラへの投資や先端技術の共同開発などを通じて51兆円の市場を日米で創出し、70万人の雇用を生み出すという。
日本は巨額な対米貢献をコミットメントすることで、日米同盟の強固さをアピールするとともに為替を絡めた二国間FTAへの流れを阻止したいとの思惑であるが、果たして“予測不能”のトランプ政権に通用するか。
一方、メキシコ、チリ、ペルー、コロンビアで形成する中南米「太平洋同盟」は米を除くTPP参加国に中国、韓国を加えた新たな自由貿易圏構想を目指すという。
世界が新たな次元に移りつつある中にあって、トランプ政権への無批判な従属は日本の可能性を狭めることにならないか。米国とのパートナーシップの重要性を否定するものではない。しかし、シナリオは一つではない。アジアや中南米の潜在的可能性は大きい。世界経済の不透明感が増しつつある今こそ、日本は自由経済による市場創出にイニシアティブをとるべきである。新興国の社会的安定を支援し、事業機会を継続的に提供することで、民の成長と地政学的リスクの軽減を目指すべきであろう。そうあってはじめて国際社会におけるプレゼンスの向上と対等な日米関係が可能となる。

分断と拒絶の連鎖が現実の懸念となりつつある。27日、トランプ大統領は中東、アフリカの指定7カ国からの入国を制限する大統領令に署名、各地の空港では29日までに280人にのぼる渡航者や難民が入国を拒否された。これに対してニューヨークやボストンの連邦地裁は大統領令の執行停止を決定、入国制限の一時解除と強制送還の停止を命じた。また、イエーツ司法長官代行※、首都ワシントンを含む15の州司法長官もこの大統領令の違憲性を指摘した。
※ホワイトハウスはイエーツ長官代行を直ちに解任、後任にバージニア州東地区のダナ・ポエンテ検事を指名、同判事は大統領令を執行するとの立場を表明した
こうした中、カナダのトルドー首相は「カナダは難民を歓迎する」旨の声明を発表、独メルケル首相、仏オランダ大統領、初の首脳会談で「英米の蜜月ぶり」を演出したばかりの英メイ首相も直ちに不同意を表明した。また、スターバックスは全世界の店舗で1万人の難民を雇用する方針を発表、ツイッター社は公式アカウントで「ツイッターは移民とともにある」とつぶやいた。アップル、グーグル、フェイスブック、アマゾン、ナイキ、ゴールドマンサックス、フォード、GMなど、大手企業も相次いで懸念を表明した。
イランのザリフ外相は「今回の大統領決定は過激派集団に対する偉大な贈り物である」と皮肉ったが、残念ながら反ムスリム主義者に対する“贈り物”にもなった。29日、カナダのモスクで礼拝中のイスラム教徒に対する乱射事件が発生、6人の命が奪われた。
米国そして世界がトランプ政権に対して抗議の声をあげる中、自由と民主主義を党名に冠するわが国の与党党首は「コメントする立場にない」と意思表明を留保した。Shame!

20日、16分という短い就任演説において、「勝利はあなた方のものであり、アメリカ合衆国はあなた方の国だ」とトランプ氏は語りかけた。しかし、彼を支持する“あなた方”以外の国民が抱く懸念を払拭させる内容はなかった。演説は選挙期間中そのままの彼が、第45代アメリカ合衆国大統領として、あらためて「アメリカ第1主義」を世界に対して宣言したものであった。偉大なアメリカの実現に向けて「米国製品を買い、米国人を雇う」と語った彼は、言葉どおりTPPからの離脱とNAFTAの再交渉を表明した。
仏の歴史人口学者エマニュエル・トッドは、米国が主導したこの35年間のグローバル化を「世界の解放、エリート主義、階級への分裂、収入の格差、社会的経済的不平等が広がった時代」と捉え、その反動として「国民国家の枠組みへの回帰」がはじまった、とトランプ現象を総括、「世界は一致に向かっていない」と断じた(「グローバリズム以後」、朝日新聞出版)。
確かに、トランプ氏やサンダース氏の登場、また、英国のEU離脱も“時代の大きな流れの中での必然である”と理解すべきであろう。
暴走したグローバリズムに一定の調整は必要であり、国民国家や共同体が再興してゆく過程で民主主義の危機が超克されるのであれば、それは希望となる。
現時点でトランプ政権の行方はまだ完全に見えない。しかしながら、もしも超大国アメリカが、力を背景に排外主義の徹底を強行するのであれば、新たな差別、分断、萎縮、不正義、そして、暴力を国内そして世界に呼び込みかねない。
未来の歴史学者にとって、それは“時代の移行期における一時的な混乱”に過ぎないかもしれない。しかし、今を生きる私たち自身が“時代の必然”などと正当化してはなるまい。求められているのは時代をつなぐビジョンである。

17日、英国のメイ首相はEUからの完全離脱を宣言した。ヒト、モノ、サービスの自由な移動を保証する単一市場から離れ、独立国としての権限を取り戻す。
一方、メイ氏は「野心的な自由貿易協定」を各国と締結し、“グローバルな貿易立国”を目指すとも表明した。
EUとの交渉は容易ではあるまい。そもそも英国の正式な離脱は2年という交渉期間の終了後であり、この間における第3国との交渉は禁じられている。移行期間の設置も取り沙汰されるがこれもまだ不透明である。
日本から英国への直接投資額は22億1000万ポンド、1000社を越える企業が英国に拠点を構える。そして、その多くが英国を含む単一市場EUを見据えての進出である。
経営環境の不透明感は募る。しかし、それゆえに現時点で過剰に悲観する必要はない。むしろ、欧州戦略を見直す好機として、シンプルに自社の海外事業を問い直すことが最大の備えとなるはずだ。
今、米国の行方も見えない。習金平氏はダボス会議で「他国を犠牲にして自国の利益追求をしてはならない」とトランプ氏に釘を刺したというが、自国の政策を省みればそれもまた「取引」の言葉にしか聞こえない。
大英帝国の盟主、英国が自治植民地に対して本国との対等な地位を認めたのは1931年のウェストミンスター憲章である。以後、各国は独立へと進む。立場は逆転した。時間はかかるだろう。しかし、この交渉を通じて英国が“開かれた独立国”として新たな国家観を確立し、一方でEUも地域統合の理想と制度を再定義し、そのうえで両者が生み出す“グローバリズムの次のステージ”に期待したい。

アサヒビールが中国における牛乳事業からの撤退を発表した。同社は2008年に中間層~富裕層をターゲットに高級牛乳市場に参入したが、業績好転の見通しが立たず現地食品企業への譲渡を決定した。
戦略の見直しは日系企業にとどまらない。2400店を運営するマクドナルドは中国忠信集団(CITIC)に約2400億円で事業売却を決定、ケンタッキー・フライド・チキンやピザハットを運営するヤム・ブランズも中国事業を分離、アリババなど現地企業の出資を受け入れた。
人件費の高騰、現地企業の台頭、成長スピードの鈍化など、市場環境変化は急速であり、外資大手による従来型の中国戦略に限界が来ていることは明らかである。
しかし、戦略転換の背景には一企業の戦略条件を越えた経営リスクの増大懸念がある。
資本の海外流出、構造改革の遅れ、格差の拡大、環境や民族問題への対応を迫られる中国であるが、その中国を牽制するトランプ氏もまたグローバリズムによる負の側面によって権力の座へ押し上げられた。内に抱える問題、そして、大衆との向き合い方も類似する。
自国利益の極大化を大義とする政権の施策は、“通常”の経済政策の範疇を越えかねない。自ずと対外的には硬化し、やがて対立する。影響はどのように、そして、どこまで拡大するのか。行き過ぎたグローバリズムの反動が“行き過ぎない”ことを願う。

ミャンマーのイスラム系少数民族ロヒンギャ問題について、マララ・ユスフザイ氏をはじめとするノーベル平和賞の受賞者11人を含む国際的な人権活動家23人は、アウン・サン・スーチー国家最高顧問兼外相を非難する書簡を共同で国連安保理に送付した。
書簡は「ミャンマー国軍による武装勢力の掃討作戦によって数百人規模のロヒンギャが殺害され、数万人が難民生活を強いられている」と指摘したうで、スーチー国家顧問の不作為を批判している。
一方、ミャンマー政府はロヒンギャに関する国際的な批判の高まりを受けて、ミン・スエ副大統領を責任者とする調査委員会を設置、事実関係を調査してきたが、3日、「虐殺や宗教上の迫害はなかった」との中間報告を発表した。とは言え、治安当局による暴力行為の映像が世界中に拡散する中にあって、「国軍による弾圧はなかった」と結論づけた政府への不信は拭えない。
昨年4月、大統領資格を持たないスーチー氏は「大統領を越える存在になる」と言い放って、新設した国家最高顧問に自ら就任した。その彼女が、国軍による掃討作戦が展開されているまさにその最中、11月に来日した。日本政府はミャンマー新政権を「自由、民主主義、基本的人権、法の支配といった基本的価値観を共有するパートナー」であると評し、官民をあげて彼女を歓待、経済支援を約束した。しかし、彼女が率いる今のミャンマーは本当に価値観を共有するパートナーであるのか。私たちは事実を知らないままこの政権を支援するのか。いや、知ったうえでの支援であるのか、
米トランプ次期政権の行方が見えない中、「2017年は不確実性が高まる」とメディアは口を揃える。しかし、それゆえにこそ私たちは“基本的な価値観”というアイデンティティに拘るべきである。そうであってはじめて揺らぐことのないポジションを世界の中に確立することが出来る。決して本質から逸脱しないこと、そこが“確からしさ”の唯一の基盤となる。