今週の"ひらめき"視点
映画「ランブル」にみる分断の歴史と米民主主義の一断面
映画「劇場版『鬼滅の刃』無限列車編」(外崎春雄監督)が全国的な大ヒットだ。本稿の読者も多くの方が劇場に足を運ばれたものと推察する。一方、上映館も上映日も限定されるが、筆者はこの秋の見逃せない作品として「ランブル(RUMBLE)」(キャサリン・ベインブリッジ監督)をお勧めしたい。「ランブル」はネイティブアメリカン(ショーニー族)の血を引くギタリスト、リンク・レイが1958年に発表したレコードのタイトルで、歌詞のないインストルメンタルで唯一放送禁止の指定を受けた楽曲として有名である。
映画はレイを起点にジミ・ヘンドリクス(チェロキー族)、ロビー・ロバートソン(モーホーク族)、スティービー・サラス(アパッチ族)、タブー(ブラック・アイド・ピーズ、ショショニ族)をはじめとする “彼以後” と、チャーリー・パトン(チョクトー族)、ミルドレッド・ベイリー(コー・ダーリン族)に代表される “彼以前” の先住民の血を引くミュージシャンたちを通じて、ブルース、フォーク、ジャズ、ロック、ヒップポップの根底に流れる “インディアン” の歴史、文化、音楽を辿る。
かつて、先住民は黒人より下の地位に置かれ、徹底的に差別された。「先住民の男は土地の権利を主張する」、これこそ白人たちが彼らを恐れ、彼らから社会的権利を奪わざるを得なかった動機である。男はアフリカに送られ、女はアフリカから連れて来られた奴隷と結婚させられた。そして、子供たちは黒人として生きる。もちろん、音楽は封じられた。しかし、彼らの伝統に根差した鼓動と音階はアメリカ大衆音楽に大きな影響を与え、現在へ引き継がれる。
26日、ペンシルベニア州で黒人男性が白人警察官に射殺された。抗議運動が再燃し、一部は暴徒化する。米国社会における人種的、民族的な分断は未だに終わっていない。
繰り返される弾圧と抵抗、それでも少しずつ民主主義は磨かれ、浸透し、時に “原則” の一端が顔を出す。同じ日、トランプ氏が最高裁判事に指名した保守派のバレット氏が承認された。大統領選挙を直前に控えたタイミングでの任命手続きは「フェアでない」との批判も根強い。しかし、一方で米国の民主主義は、彼女をして「最高裁は独立した機関であり、判断は憲法と法律の条文に則って行う」、「特定の裁判について誰に対しても何らの約束をしていない」、「政治からも個人の指向からも離れて職務にあたる」と公聴会と宣誓式の場で言わしめる。少なくともそこには民主主義の “原則” を蔑ろにする詭弁や欺瞞を恥とする社会的なコンセンサスがある。ここに彼我の落差がある。
今週の“ひらめき”視点 10.25 – 10.29
代表取締役社長 水越 孝