日本マーケットシェア事典2024年版巻頭言より
株式会社矢野経済研究所
代表取締役社長 水越 孝
日経平均、34年ぶりに最高値更新
東京市場の日経平均株価が好調だ。2月22日、バブル期の1989年に記録した最高値を34年ぶりに更新するや3月4日には初の4万円台をつけた。米株高、金融緩和環境の継続見通し、そして、円安が海外マネーを引き寄せる。半導体関連、外需型企業、インバウンド関連の好業績も好材料だ。
とは言え、国内の需給ギャップは依然としてマイナスであり、勤労者の実質賃金も物価高に追いつかない。市場関係者を除けば“あの頃”の高揚感はない。日銀の金融政策の転換時期が取り沙汰され、大統領選挙を控えた米国が内向き政策に傾く中、海外勢の資金シフトも想定される。外部条件変化に伴うリスクを低減するためにはドル建てによる割安効果を上回る内需の拡大が必須であるということだ。
それにしても、“34年ぶり”という停滞の長さにあらためて身が縮む思いだ。言い換えれば、凡そ4,500万人もの日本人に“成長”の実体験がない、ということだ。2023年の名目GDPは4兆2106億ドル、ドイツに抜かれ世界4位、1980年には世界のGDPの1割を占めていたが、今や影響力は半減した。一人あたり名目GDPも2022年にイタリアに抜かれ、G7で最下位だ。
昨年、筆者は本稿に「コロナ禍の3年は日本の未来図そのもの」と書いた。外出制限に伴う内需の縮小、中小零細事業者の休廃業、構造変化に取り残された老舗企業の破綻はまさに少子高齢化のその先にやってくる未来の疑似体験だ。
円安も象徴的だ。今、アジアからのインバウンドが日本の内需を押し上げる。百貨店の免税売上高はコロナ前の水準を越え、過去最高を記録した。外資系高級ホテルの日本市場参入も後を絶たない。一方、かつて日本の流通改革を牽引し、“総中流時代”の豊かさを支えた総合スーパーの業容縮小が止まらない。
インバウンドは歓迎すべきだ。しかし、そこに甘んじていては内需の絶対縮小と運命をともにするしかない。政府は生産年齢人口の減少を補完すべく外国人労働者の受け入れ緩和に舵をきる。しかし、安い日本であり続ける限り、やがて稼げる国としての地位も低下する。外国人労働者や移民を過度に排除する向きもあるが、現状のままではそれも杞憂に終わろう。
30年間の停滞を乗り越えるために何をすべきか、鍵は民間による継続的な成長投資にある。すなわち、この30有余年もの間、鳴りを潜めてきた経営者たちの覚悟と勇気が問われていると言うことだ。
地政学リスクを“想定外”としてはならない
外部環境は劇的に流動化しつつある。グローバリゼーションへの無邪気な希望も、新自由主義経済への楽観も色褪せた。コロナ禍を通じてこれらに対する反動はより内向きに、そして、強権化を伴って世界に拡散しつつある。世界の分断と地政学的なリスクはもはや所与の経営条件となった。そして、言うまでもなく私たち日本企業にとって最大の不確定要素が中国である。
3月11日、全人代は「国務院組織法」の改正を採択し、閉幕した。集団指導体制は既に2022年に瓦解しているが、今回の改正で国務院(内閣)の権限も名実ともに党に一元化される。党とはすなわち国家主席その人であって、独裁化の加速が世界のリスクをもう一段高める。
1931年、仏自動車産業の祖、アンドレ・シトロエンが組織した無限軌道車隊がユーラシア大陸を走破した。筆者はその一部始終を記録した「中央アジア自動車横断」(ジョルジュ・ル・フェーエル著、河出書房新社)を読んだ。「黄色の探検」と名付けられたプロジェクトに当時の欧州人のアジアに対する目線が象徴されるが、それはさておき、中国について興味深い一節があった。彼らにあっては“未来への願いは昔の完成した文明への誇りが交じっている”としたうえで、「力を取り戻したいという自覚が生活を支え」、「弱みがなくなれば神経過敏になる必要はない」と続ける。まさに93年後の姿そのままだ。弱みはどこにあるのか。93年前にあっては無秩序とも言える中央アジアの多様性、すなわち国民党政府にとっての辺境の匪賊たちと貧困、93年後の現代にあっては党による統制を危うくするすべてと格差、ということになろうか。いずれにせよ93年前のテヘラン、カブール、ウルムチ、、、に関する記述の中に今につながる問題の原型をみることが出来る。この地域の成り立ちを理解するうえでも貴重な資料であり、一読をお勧めしたい。
停滞の中で生まれた新たな価値と可能性
さて、本題に戻ろう。この30年間を多くの識者が“失われた”と形容する。
確かに政治家たちの弛緩ぶりは“失われた”との表現が的を射ているし、不正と不合理が常態化した少なからぬ大企業の内向き体質も“時間が止まったまま”であると言える。
停滞の根幹には日本特有の組織の問題がある。政策や制度の在り様も問われて然るべきだ。しかし、そこが本質ではない。命じられるままに、あるいは前例通りに、あるいは自ら積極的に不正に関与してきたのは紛れもなく個人たちである。トップから末端まで、組織の構成員全体に染みついたた保身と打算の行動原理こそが問題の根底にある。まずは“オールジャパン”に象徴される身内主義の心地よさから脱すること、ここが停滞を打破するためのスタートラインである。
一方、この30年、私たちは何もしてこなかったか。東日本大震災からの復興は被災の傷痕とともに未来へつなぐべき大切な資産だ。アート、アニメ、ハイブリッド車、青色LED、QRコード、はやぶさもあった。MRJをはじめとする失敗や挫折の記憶も挑戦の証だ。
そもそも価値観そのものが30年前とは異なる。SDGs、ESG、ネイチャーポジティブ、、、豊かさの意味が変化する中にあって旧来の指標だけで社会活動の価値を語ること自体が停滞であるとも言える。そう、成長を知らない4,500万人が共感する新たな“ものさし”でこの30年を測り直してみたい。
(2024年3月)