核の全廃と使用禁止に関する2つの国連決議、問われるべきは理念と実効性


世界の指導者に広島、長崎への訪問を促した日本提案の核廃絶決議が156カ国の賛成多数で採択された。反対は中国、ロシア、北朝鮮の3カ国、米、英、仏、イスラエル、イランなど17カ国は棄権した。「加害国が被害国にすり替わる」といった奇妙な論陣を張る中国はともかく、「核無き世界」を掲げるオバマ政権を筆頭に全ての安保理常任理事国が棄権または反対に回ったことに国連の限界が象徴される。
一方、“唯一の被爆国”日本も、128カ国の支持を得て採択されたオーストリア提出の「2度と核兵器を使用しないことが人類の利益」であるとした核禁止決議に対し、米国の“核の傘”という現実を前に棄権した。国連の実効的な機能が問われる一方で、しかしながら、これでは日本提案の覚悟も侮られよう。

同じ日、「IAEAは2004年に韓国の原子力施設を査察した際、核兵器の開発につながる重要技術が日本から流失していたことを確認していた」とのニュースが流れた。出願された特許のすべてが“公知”の情報として公開される日本の特許制度を鑑みると、本件において特段の法的問題はない。とは言え、こちらもまた核技術の拡散防止に対する日本の本気度が問われて然るべき事態、であったと言える。
外交力の弱さは政策や制度の体系性、一貫性の問題に起因する。もしもそこに日本の弱さがあるのであれば、何よりも根本的な理念とビジョンに関する社会的コンセンサスが十分でないということだ。

今週の”ひらめき”視点 11.01 – 11.05

 

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