官民に通底する前近代性を一掃し、社会に健全な活力を!


2014年12月に施行された特定秘密保護法の運用に疑義が生じている。2013年9月の閣議決定前、会計検査院はこの法律の条文が国家行政のすべてについて監査を行なうと定めた憲法90条に違反していることを指摘した。これに対し政府は「条文によらず各省庁には会計監査に応じるよう通知する」ことを検査院と“事前合意”したという。しかし、施行から1年半、この合意が実質的に骨抜きにされ、後退させられたていった経緯が明らかになった。
同法の是非はさておき、そもそも“事前合意”などという秘密主義的な決着が容認されたこと自体が信じ難い。衆参両院に設置された情報監視審査会への非協力的な政府の対応が問われる中、“監査”という検査院にとっての業務責任が果せればそれで良いといった程度の問題ではあるまい。

米国で大統領選を戦うヒラリー・クリントン氏の公務における私的メールアカウント利用が、なぜ「大統領の資質」の問題として扱われるのか。それは、米国政府の公文書は国民が所有するものであって将来公開されるべきものである、ことが当たり前のこととして社会に認知されているからである。米国という国家の、時に独善的な振る舞いには辟易することも少なくない。しかし、国家と個人の関係における主客の一貫性ははるかに明瞭であり、フェアである。
一方、偽装、粉飾、隠蔽が一向に無くならないこの国には、前近代的な組織の論理を個や法に優越させる排外的なエリート主義が未だどこかに潜んでいるのではないか。特定秘密保護法の危うさはまさにここにある。

今週の”ひらめき”視点 05.01 – 05.05

 

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