アナログ業界のイノベーションとは?
「ターンキービジネス」というビジネスモデルがある。設備を購入したユーザーが始動の鍵を回すだけで生産が可能になるというもので、装置メーカーによるソリューション提案の1つである。特に太陽電池業界で広く認知されている。太陽電池にはいくつかの種類があるが、そのなかでも薄膜シリコン太陽電池においてターンキービジネスが浸透した。装置メーカーが製造ラインに必要な装置を一括でユーザーに提供することに加え技術指導まで行ったことで、経験の浅い企業でも資金力さえあれば太陽電池市場に難なく参入することができた。
太陽電池や液晶、さらにその基幹技術である半導体というのは物理学が基本にある。原理原則通りに数値を落とし込めば論理的な結論が導き出せるため、設計通りにきちんと作り込み、環境や条件を含めたそのノウハウを数値化して装置に盛り込めば、基本的に誰もが同等の品質で生産できるようになる。これら市場の黎明期は「教科書」がないため、1つ1つの改善がノウハウとなり、それらを装置に反映させていくことで日本企業の競争力が向上した。しかし、市場が成熟に向かうにつれ装置がコモディティ化してくると、韓国や台湾の企業がノウハウの詰まった最新装置を手に入れたことで大量生産による価格競争が激化、旧型設備しか有していない日本企業の市場ポジションは相対的に低下した。もっとも、こうしたターンキービジネスに苦しめられたのは日本企業だけではなく、今は韓国や台湾がかつての日本と同じように中国企業の猛攻を受ける立場になっている。
しかし、太陽電池や液晶など数値化した設計を装置に反映しやすい「デジタル化」との相性の良い業界とは異なり、化学は経験と摺り合わせと閃き(あるいは偶然の産物)がモノを言う「アナログ」の世界であるため、簡単に真似することはできない。液晶テレビに使用されている光学フィルムの多くは今も日本メーカーが高いシェアを握っている。光学フィルムはフィルム自体を製造する「製膜」、フィルムに塗布等を施す「加工」という生産プロセスを経るが、いずれにおいても日本メーカーの技術力は突出している。たとえば、タッチパネルで使用されている透明電極フィルムでは日本メーカーが圧倒的に強い。韓国や台湾、中国から数多の企業が参入し、日本と同様な装置を手に入れてきたが、それでも日本並みの品質を実現できていない。
さまざまな業界においてイノベーションが巻き起こっている。自動車では自動運転、製造現場ではIoT、金融ではフィンテックなどである。いずれも「デジタル化」がキーワードになっている。アナログな化学分野においてもいずれイノベーションがもたらされる。その可能性の1つがAIであろう。昨今のAIはディープラーニングによりそれ自身が学習するため、こちらからの条件設定のためのパラメーター付与を必要としない。化合物の開発は膨大な時間と労力を要するが、AIであれば通常考えられないような組み合わせも検討するため、人類では思いもつかなかった化合物が短期間に発見出来る可能性がある。実際に巨額の研究開発費を要する製薬業界のほか、有機ELの化合物探索でもAIが活用され始めている。生産においてもAI自身がノウハウ含めて自らが学習することで、熟練技術を要するものですら「ターンキー」で製造可能な時代が来るかもしれない。
化学のみならず日本の素材メーカーの多くは「技術優位性」を競争軸に据えている。外気温や湿度など微妙な条件の違いにアジャストする職人感覚に基づいた生産技術こそが、日本の高度な品質競争力の源泉にある。しかし、その技術がいずれデジタル化される可能性がある以上、そのポジションは安泰ではない。来るべきイノベーションに対しどのように臨んでいくか、日本メーカー各社の戦略と決断が問われている。
2016年12月 主席研究員 相原 光一