
バングデシュで発生した無差別殺人の犯人像や背景が徐々に分かってきた。裕福な家庭、最高レベルの教育、マレーシアへの留学経験など、エリートによる過激主義への傾倒が浮き彫りになってきた。
豊かな外界との矛盾や閉ざされたままの自国の将来を、極限的な暴力で切り拓こうとする身勝手な似非エリートは常に存在する。彼らは、正当化出来ない無法と暴力に正義と正統性を与え、それを権威付けるために宗教、思想、外敵を利用する。オウム然り、連合赤軍然り、である。つまり、日本においても“ホームグロウン・テロ”は他人事ではない。
5日朝、犠牲となった7人が無言で帰国した。犠牲者に対する弔意と犯行に対するやり場のない怒りが広がる中、「償わせる」だの「指1本触れさせない」などと政治家たちが息巻く。
1971年、独立したばかりの貧しく、混乱したバングラデシュの人々のために祈り、自ら行動したジョージ・ハリスンとは比べるべくもないが、この国の政治家たちの薄っぺらさと幼稚さに呆れる。威勢の良い遠吠えでは何も解決しない。

英国はEU残留の可否を国民に問い、国民は離脱を選択した。開票直後の高揚そして英国全体に漂い始めた“後悔”、突き放す独仏伊、動き出すスコットランド、北アイルランド、割れたままの議会、キャメロン氏を継ぐリーダーの不在、、、、世界中で株価と為替が揺らいだ。しかし、遠からずマーケットは収束するだろう。英国抜きのEUは、やがてそれが常態化するはずだ。
今回の英国の決定は、移民、世代間対立、民族主義、格差、EUの構造問題、という文脈で解説される。いずれも間違いではないし、背景は複合的だ。しかし、唯一確かなことは現状に対する大衆の不満が原動力となったことだ。そして、その先にあるのはサッチャー氏が再生させた「英国の終焉」である。グローバリズムと米国、EUとの関係性を梃に、かろうじて維持されてきた大英帝国の威信に自らの手で“幕を引く”決断をしたということだ。
混乱と停滞は当面続く。しかし、10年ではなく100年という時間軸の中で振り返ったとき、「2016年6月23日は “新自由主義”に代わる新たな世界観の出発点となった」と評されるかもしれない。13世紀、マグナカルタによって「法による支配」と「立憲主義」を世界に先駆けた英国の、未来からやってくる知恵に期待したい。