今週の"ひらめき"視点

「年金2000万円不足」問題の本質と浮き彫りになった政治の不誠実さ

金融庁は3日、「金融審議会 市場ワーキンググループ報告書」を発表した。内容は「夫65歳以上、妻60歳以上の無職の夫婦世帯の毎月の不足額は平均5万円、今後20年から30年の人生があると仮定すると1,300万円から2,000万円が不足する。したがって、老後に向けた資産形成が必要である」というもの、これが炎上した。
もとより一人一人が求める生活の質やライフスタイルによって不足額の大きさは異なる。よって、平均値を一律に適用することは適切ではない。また、「赤字になるから投資で備えろ!」では証券セミナーのちらしと同じだ。しかし、現役世代と受給者の人口構成を調整要件とする現行制度を将来に延長してゆけば年金の減額は避けられず、これに一人一人が向き合う必要があるとの指摘については何らの誤解も異論もないはずだ。

制度が100年間維持されることが「安心」ではない。世代間の不公正を是正することで「安心」が担保されるわけでもない。国民にとっての本質的な関心はそれが生活の基盤足り得るか否かにある。膨張する社会保障費の問題は現行の財源規模を前提としたやりくりでは解決しない。税体系はもちろん財政全体の中で根本から再構築する必要がある。まさに国の未来の在り方を問うことと同義である。創造的でオープンな政策論争に期待したい。選択するのは主権者である私たちである、はずだ。
しかし、聞こえてきたのは「われわれは選挙を控えている。そうした方々に迷惑をかけぬよう党として厳重に注意する」、「不安を煽る、不適切である、受理しない」、「受理しなかったのだから、報告書はもうない」など、自らに不都合な存在はなきものに出来ると言わんばかりの不遜な声ばかりである。こうした中、当初6月に予定されていた「将来の公的年金の財政検証」(厚生労働省)の発表も“選挙後”になる可能性が高まる。

1989年6月、天安門の民主化運動を機に失脚し、その後軟禁状態に置かれた趙紫陽氏は、その1ヶ月前、アジア開発銀行の総会で学生たちの行動を評価したうえで「民主的監察制度の不備が腐敗をもたらす」と一党支配の行方に警鐘を鳴らした。
翻って2019年の日本、政府の都合でいとも簡単に公的文書が “Delete” されるとするのであれば “民主的監察制度” が適切に機能しているとは言い難い。確かな検証にもとづく事実が共有されてはじめて、公正な選択が可能となる。科学的な根拠、正しい手続きによるフェアな議論を望む。これ以上の先送りは不安の増大にしかならないのだから。


今週の”ひらめき”視点 6.9 – 6.13
代表取締役社長 水越 孝